某レストランチェーンの店長が語る『幸せの旅路』⑫

幸せと辛いの差とは?パート2

 

  最近サッカー観戦でなかなか更新出来ずで申し訳ございません。惜しくも負けてしまった日本は残念ですが、深夜にも関わらず、友人と叫んで住民に怒られてしまいました(笑)がやれば出来ると夢を頂き感謝です!

 

  その中でも西野監督の最後の言葉「我々に何が足りなかったのでしょう」は奥が深い言葉です。監督(指揮官)とは全ての責任を持つ存在です。私も一緒ですが、店長であるべき、お店で起こる数値責任、営業責任、教育責任と全て私の責任となります。それは従業員をマネージメントし、お客様にサービスを提供していきます。日々の営業にて人員配置、教育をコントロールし積み重ねていきます。だからこそ予測よりもオーバーした時(予測を外した時)、お客様にご迷惑のかかる営業になった時、『辛い』と感じてしまうのです。

 

   何故なら従業員へ大きな負担と思うから。でもそれは間違いなのです!私自身が従業員の存在、能力を信じ切ってないのだと!まだ出来るという最大限の信用と信頼を持つ事が『幸せ』へと繋がると!何が言いたいのか?

 

 

  それは、自身の周りの存在に気付けるかどうか!自身を支えてくれている友人、パートナー、部下を信じているかどうかで『幸せ』と思うのか、『辛い』と思うかなのです!サッカーに戻りますが、西野さんが言った「何が足りなかったのでしょう」の意味とは自身の想い、考え方に隔たり、そして自分への苛立ちだと思います。2-0になった瞬間守れば良かったのにと思う人もいたと思いますが、西野さんはそれが出来なかった。何故なら過去に後悔、批判を受けた過去がある為、幸せ(勝利)の戦術が攻める戦略にさせた為であります。だからこそ必然と最後まで貫き通した結果なのです。西野さんは選手を信じてやっていたので悔いはないと感じています。

 

 

 

   幸せと辛いとは、漢字で線が一本足りないだけでどちらにも変わります。私はその一本は周りの存在であると確信しています。自分を支えてくれた時に幸せと感じ、遠退いた時に辛いと感じるのです。長友選手の清々しさがそれを物語ってますよね!良い指揮官、仲間と戦えたと幸せそうでした。

 

 

   幸せとは自分一人で感じることは決してありません!仲間を信じて、共に遣りきった時に感じるものです。皆さんも今までで幸せと感じた時周りの存在に気付いてましたか?周りが支えてくれたお陰で自分に幸せを提供してくれているものだと!周りへの感謝=幸せであると! 

 

 

   しかし幸せと感じた時に人は、感謝に気付けない、一人で有頂天になる、自分勝手、ワガママなど自分中心になってしまうのです。私もそうですが…。その結果、周りから人が去っていき辛いと感じてしまうのです。人は愚かな存在です。

 

 

  歌丸さんの言葉もそうです、『人間は笑う能力を持っている。人を笑かす落語家を貫き通すことが人生の遣り甲斐』正しく幸せな人生を送られたと感じます。思っていたよりもまとめられなかったので…。続きはまた次回にさせて頂きます。